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  • Ryo Okonogi

知る人ぞ知るスウェーデンの文芸家

最終更新: 6月16日

 受験で世界史を使った人でさえも、スウェーデンの画家・作家は見たことがないという方が多いかもしれません。誰もが一度は聞いたことのある「ルネサンス」や「印象派」もフランスから始まった流行であり、西洋美術というジャンルの中でスウェーデンが注目を浴びることは少ないように感じます。


 果たしてスウェーデンにも有名な画家がいたのか?それをMOSの平社員として追求すべきだとおこのぎは思ったわけです。この文章を最後まで読めば、渡航中に現地のスウェーデン人から、「君は○○を知っているのかい⁉︎」なんて驚きと好感を持たれること間違いなしです!


カール=ラーション

 スウェーデンの画家としてまず第一に名前を挙げるとしたらカール=ラーションでしょう。先述の印象派は、だいたい1880年代に流行しましたが、なんとこの画家はフランス印象派の画家に多大な影響を与えたとされています。


 ラーションは1853年、ストックホルムのガムラスタン(ジブリ映画、魔女の宅急便のモデルにもなった街)で生まれました。貧しい家庭に生まれましたが、小学校の担任教師がラーションの絵の才能を見て王立美術学校の予備課程に申し込んでくれました。(まるで友達が勝手に申し込んで合格してしまったジャニーズのようですね笑)


 無事に王立美術学校に入学したラーションは、油彩画などを学び研鑽を積みます。彼は20代でフランスに渡りましたが、この渡仏が彼の芸術人生のターニングポイントでした。彼がパリで身につけた水彩画の光の技術は彼の故郷ストックホルムでも評価されることになりました。また、パリ滞在中のラーションは当時フランスに入ってきていた日本美術にも関心を持ち、彼の暮らす家には屏風や日本人形が飾られていたとも言われています。


 2018年は日本とスウェーデンの外交関係樹立150周年の年でしたが、日本でもそれを記念してカール・ラーション展が開かれました。彼の「スウェーデンの日常」を描いた絵は現代のスウェーデンのインテリアにも深い影響を与え続けています。



エルサ=べスコフ

 日本でも、児童文学や絵本の分野でスウェーデンを代表する作家として有名なのがエルサ=べスコフです。50年近く愛される彼女のほとんどの作品は日本語訳もされているので、これを読んでいる方の中には彼女の作品を知らないうちに読んでいた、なんて人もいるかもしれません。


 エルサは、実業家の父と教師の母の間に、6人兄弟の長女として生まれます。エルサは幼い頃から絵本を描きたいという思いを抱いていたようで、兄のハンスと一緒に絵を描いて、自分で考えた物語を兄に聞かせていました。しかし、彼女が15歳になった1889年、父親が肺炎で亡くなってしまいます。これ以降生計を立てるために母親の姉妹と弟も一緒に暮らすことになりましたが、この3人の叔父・叔母の存在は、のちに彼女のシリーズ作品となる『みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん』に登場するキャラクターのモデルになったとされています。

 

 芸術分野も学べる技術学校に通っていたものの、家計が苦しかったこともあって本格的な芸術の道に進むことはできず、美術教師として学生に教える傍らイラストレーターとしても活動していました。1897年、エルサは初めて絵本作品『ちいさなちいさなおばあちゃん』を出版しました。6人の息子が生まれたエルサはその後も子育てをしながら自身の絵本作家としての活動を続けていきました。


 エルサは1953年に亡くなりましたが、58年にはスウェーデン図書館協会が「エルサ=べスコフ賞」を創設しました。これは一年間のうち最も優れたスウェーデン人絵本作家、または挿絵が施された絵本に贈られる賞です。初代受賞者は、ムーミン作品で有名なスウェーデン系フィンランド人「トーヴェ=ヤンソン」でした。




『アザレアの花』(カール=ラーション)




『かくれんぼう』(カール・ラーション)




『みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん』(エルサ・べスコフ)

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